地獄の一夜を乗越え、羞恥の拷問
18日の術後から一日たった19日です。
当日は怠さ等で元気がなく、記憶も曖昧ですがCUにてまだ寝ていました。
口は動かせず、鼻もつまり口だけで息を吸う状態で、口は乾燥しまくりです。これが非常に不快。
それに顎の痛みが姿勢を変えるたびに、また痛みとなって現れます。サウナで水風呂入って慣れた時動いたらやっぱり寒かったみたいな感じです。
気持ちは辛かったですか、手術当日の夜に比べればはるかにマシです。痛くて寝れない、ても麻酔もできない夜はまさに拷問であり、もう一生経験したくありません。
しかしまだ試練が残っています。体に繋がった尿管カテーテル等の管です。手術中にさしたのですから、術後には抜くことになります。
しかし麻酔はしていません。術中と違って痛みがあるに決まっているのです。私はその確実に訪れる未来を見聞色の覇気の如く、すぐに来るであろう地獄を鮮明に見てとりました。
寝られない痛みの悪夢を乗り越えた先に、まだ降りかかろうとする試練に、私の感情は絶望一色でした。
看護師の方から、午後には元々の部屋に戻るとのことを伝えられました。地獄は近づいてきています。
その前に、体を洗うと言われました。もちろん術後で起き上がれません。寝たまま、看護師の方に綺麗にしてもらうことになります。
これは羞恥の拷問といっていいでしょう。若めの方に全身をタオルで拭いてもらうのですから。当然、術後の元気がない中ではただ早く終わってくれという思いでいっぱいでした。
担当の方はきっと患者を物体のように、冷静に対処しているとは思いつつも、体をキレイにするために誰かに体を晒すのはあまりいい気分ではありませんでした。
仕事とは思いつつも、看護師の方には感謝で一杯です。
部屋への帰還と
さて、車椅子で部屋まで運んでもらいました。久々の部屋です。気分が悪く、特に思い入れもない為何も感じません。
以下その時の写真です。口にティッシュを入れているなど少々見苦しいので注意です。
口には左右顎にドレーン、鼻は血でふさがれ、直線にテープが張られています。気分は全くよくありません。
簡単な状況
- 気分は重だるく、動ける気力なし
- 顔下半分はほぼ感覚がない
- 鼻は血で埋まり全く吸えない
- 口の中のドレーンは痛くないが非常に邪魔
部屋に着くと、次に再度口腔外科に案内されました。動けないので、車いすで移動です。
レントゲン撮影
口腔外科にて、口腔内洗浄とレントゲン撮影を行いました。レントゲンは正面と横顔、口を閉じた時の左右横顔を取りました。口腔外科の診察にて、術前後の比較に使うためです。
その後の診察では二つの写真を比べました。骨の位置がまっすぐになっていることがわかりました。
再度部屋に戻ると、また招集がかかりました。車椅子になるだけとはいえ、疲れていました。今度はまた別のレントゲンを取りました。
何のためか分からず、待っていると再度診察室に案内されます。どうやら、レントゲンで映っていたかけらのようなものを特定しようとしていたようです。
最初にとったレントゲンでは、右頬に薄い板のようなものが映り込んでいました。医師はこれを術用の器具と疑いをかけていたようです。
結果は、手術時に切断した骨の一片との事でした。体の一部なため、特に心配する必要はないそうです。術中はカケラにも気をつけなければいけないのですから、医師の方々には本当に頭が下がります。
さて、一件落着。そうではありません。体には尿管テーテルがまだ残っています。この異物を除去する、ついにその時が来ました。
部屋に行き、看護師の方に処置してもらいます。局部を晒す拷問と、敏感な場所から物理的な管を抜く痛すぎる拷問の二つが同時に訪れます。
痛すぎる、痛すぎる、やはり覇気で見ていた未来は全く誤りがありませんでした。クソほど痛いのです。それも意外と長い管で、2回に分けて行いました。
息を吐くと同時に管を抜くのですが、声が出るほど痛い。あまりの痛さに一度間隔をあけ、再度の試行です。最後までとことん痛かった管はやっとのことで抜けました。
抜けた後でも痛みはずっと続いていました。じんじん刺すような痛みです。管以外の方法は無いのだろうか。何かあまりにも負荷が大きすぎて、尿管カテーテルにおける医療の発展を願い切れません。
数時間後には、尿意に関係なく、トイレに行くように言われました。カテーテル後に自分でトイレする必要があるそうです。
数時間経てば、痛みは緩和しており、苦しみは思い出と化していました。しかし、さらに苦しみが襲います。
管を抜いた後のトイレ
それは小便をするときのことです。言われたままに、しようとした瞬間、破裂するような痛みが局部を襲います。
排出しようとするたびに、全く手加減のない痛みが絶えず、むしろさらに激痛を運んでくるのです。
勢いよく出さないようにしようとしても、痛みは変わりません。もう小便をすること自体が激痛に置き換わっていたのです。
地獄を抜けた先にあった拷問には、意表をつかれました。トイレのたびに激痛がくると思えば、耐えられる気がしませんでした。それほどの激痛です。
結果としてこの痛みが我慢できるくらいまでには1日はかかりました。それでも数日間は痛みは続きます。
手術日の痛みで寝れない悪魔の夜の他、顎変形症の治療の正念場の一つは、尿道カテーテルの苦痛を乗りこえることと言ってもいいでしょう。
トイレの恐怖から水も飲みたくありません。とは言っても、その日の夕飯から流動食が始まります。
術後初の食事
メニューは重湯と味噌汁、複数のドリンクでした。食べないと回復できないし、食べたらトイレの激痛があるし、とのジレンマに苦しみ、うまく食べれずへとへとになりながらも完食しました。意外と量(液体)が多い。
鼻が詰まっているので、香りはほとんどわかりません。匂いがしないとこんなにも食べ物が微妙とは思いませんでした。
そして、飲むのが大変すぎる。口全体の感覚があまりなく、のども痛いため、うまく呑み込めません。
ストローで口に入れた時は、舌が感覚が頼りとなっています。飲めたと思っても、実は口から垂れていることばかりで、食事が非常に大変でした。
ただ甘いドリンク系は、味が少し感じられ美味しかったです。病院食として採用されたら食品会社も儲かるだうなと思いながら完食しました。
そして接種した分、トイレの恐怖に怯えます。調べれば慣れるとあったので仕方ないと思い、耐えました。
また、その日から顎固定のバンドを渡され、食事以外の時に付けるように言われました。
頭の頂点まで吊り上げることで、顎を固定するそうです。これをすると口が締まり、鼻が詰まっているためとても息苦しい。顎がズレても嫌なので頑張ってつけようと思います。
その日の夜
その日のトイレはやはり痛かったです。でもだいぶ和らいでしました。なんにせよ、尿管カテーテルの苦痛を乗り越え、後はほかの管と顎の痛みに辛抱するのみです。